ディズニープラスで見た、映画「ディセンダント」の感想ですが、内容にはほとんど触れていません。これまた地球の遠い方をまわって日本にやってきた、交響組曲「シェエラザード」でも聴きながら読むのがいい記事のような気がしますので、ちょっと貼ってみます。
「アラジンと魔法のランプ」が、「アラビアンナイト」の原典に最も近いとされる写本には載っておらず、どこかで何かの拍子に紛れた物語である……というのを私が最初に知ったのは、高校生の頃だったと思います。私はとてもびっくりして、その時に色々調べて「写本」などというものの存在を知ったような気がします。
ディズニー版では、アラビアの海や砂漠と共に描かれるこの「アラジン」ですが、一方でイギリスなどでは、今でも「アラジン」といえば中国の物語として知られているそうです。とはいえ、「アラジンと魔法のランプ」成立頃の東洋のイメージは、とにかくオリエント世界の印象を全部まとめて一つにしたものといった感じで、舞台は中国とはいうものの、実態はアラビアのイスラム教圏の描写が色濃く、古い写本のものになればなるほど、中国とは名ばかりであるのだとか。
ディズニー版では「ジャファー」という名前が与えられている、アラジンと敵対することになる悪い魔法使いの宰相も、見てみると出自は色々です。ある版では「魔術師マグリブ人」とされて名前はなく、マグリブ=モロッコ周辺の出身であることが示唆されています。名前自体はアッバース朝の宰相の親族から取られているようです。
広い広いユーラシア大陸を隅から隅まで駆け巡り、東は中国、西は海を超えアフリカにまで足を伸ばした「アラジンと魔法のランプ」の登場人物たち。ディズニー版「アラジン」に登場する彼らは中国を出発して、シルクロードを渡ってヨーロッパに出向き、たまにアフリカに寄り道しながらも、アメリカに飛んでディズニー版となって日本にやってきました。地球の遠い方をまわってやってきた彼らは、上映から30年が経った今でも、大勢のファンから深く愛されています。
女の子がその身を偽り、老齢の父に代わって従軍し勝利を挙げ戻ってくるまでを描いた一編の詩があります。「木蘭辞」と呼ばれるその詩は、やがて戯曲や物語になり、雑劇や京劇にもなって、現代では映画や小説として親しまれるまでになりました。世界にその名を轟かせるのに一役買ったのが、ディズニー版「ムーラン」であることは言うまでもないでしょう。
実は木蘭は、厳密には中国人、というか、漢人の出自ではないとされています。北方騎馬民族の王朝であった北魏の文献に記されたのが始まりのようで、彼女も漢人ではなく、騎馬遊牧民の一つである鮮卑の少女だったというのが現在の主流な説なのだそうです。
意外な気もしますが、けれどもそう思うと、ぼんやりとしていた「戦う少女」のイメージが、だんだん像を結んできます。馬に乗って剣を振るう少女の物語は、やがて北方騎馬民族の王朝であった北魏を飛び出して、広く長く中国で愛されるようになりました。彼女は作品によってときどき漢人の少女となりながら、これもやはりシルクロードを渡ってヨーロッパを経由し、アメリカに飛んでディズニー版「ムーラン」となって日本にやってきました。
なぜ地球の遠い方をまわってきたと表現したかというと、日本海を渡って日本に直接やってきたとしたら絶対にありえないような勘違いが、ディズニー版「ムーラン」には散見されるからです。けれども私はそれを踏まえてなお、ディズニー版で戦う少女として描かれた彼女がとっても好きなのです。そういうお茶目な間違いも含めて、あまり目くじらを立てずに、「地球の遠い方をまわって日本にやってきた」と言いたいと思っています。
どちらも中国を出発してヨーロッパを経由し、アメリカに飛んでそこから日本にやってきたということを指摘しましたが、それはつまり地球をほぼ一周して日本にやってきたということに他なりません。地球の遠い方をまわって日本にやってくる中で、彼らは時に改変され、時に原作に忠実な箇所を残され、パッチワークやパズルのようになりながら、世界中で愛される物語になっていきました。
その中の一つがディセンダントという映画です(最近この話ばかりしているのでそういう映画の存在をご存知の方もいるでしょうが)。これはディズニー公式が作成したセルフパロディ実写映画なのですが、ここに「アラジン」よりジャファーの息子と、「ムーラン」よりムーランの娘とされるキャラクターが一人ずつ登場します。私は彼らを一目見て、とっても嬉しくなってしまいました。
ああ、この子たち、親の代わりに地球二周目をさせられている。
また地球の遠い方をまわって、日本まで歩かされてきたんだな。
そう思って嬉しくなってしまったのでした。
ジャファーの息子の方は、アメリカのストリート風と見せかけた国籍不詳の謎コーディネイトをさせられています。フォーマルな場で長髪を高く結い上げるのは歴史的には東アジア特有の文化のようですが、もう中国とはなんの関係もないですよという顔をしているディズニーの「アラジン」由来のはずの彼がなぜか(たぶん、単に「かっこいいから」ということでしょうが)そうしているのを見たとき、やっぱり彼は地球をもう一周したんだろう、と思って私は一人で笑ってしまいました。
どこが由来かわからない格好をして、物語の中を隅から隅まで暴れ回る彼は、一見出自の物語が全く見えてこない謎の人物のようにも思われますが、東は中国、西はアフリカまで足を伸ばした「アラジンと魔法のランプ」から飛び出してきたのだとしたらそれも頷ける話です。「親」に当たる物語がそうしてきたように、彼もまた地球一周に挑戦しているのだ、と思うと、なんだか妙に納得できてしまうのでした。
ムーランの娘の方はもっとひどくて、東アジアにルーツを持つ我々には「ファンタジック中国史観」以外の何と言っていいかわからない格好と挙動をしています。彼女が漢人ではなく、北方の騎馬遊牧民にルーツを持つとなどということは、おそらく完全に忘れられていると思われます。ただ、ひどいと言ってしまえばそれまでですが、私はここを面白がりたいと思っています。
たとえば、ショートアニメのスピンオフ作品を見ていたら、彼女のジャンパースカートに折り鶴の柄がプリントされていてたまげました。おいおい。でもまあ欧米から見た我々東アジア文化圏などというのはその程度の認識なのでしょう……と思うと少し寂しいですが、自国や、自国が歴史上長く長く付き合い続けてきた隣国の文化が、こうして地球を一周して故郷へ帰ってきた様を見るというのは、なかなかできる経験ではないように思います。そう思うとなんだか面白くなってきて、私はどうしても彼女の挙動を追いたくなってしまうのでした。
「2」ではかなりフォーカスされ、とてもいい役割を与えられている彼女が、(ややズレた東アジア観によるものだったとしても)愛を持って物語に組み込まれ、大活躍している様を見るのは、私としてはとっても嬉しいことでした。
「地球の遠い方をまわって」というのは、私が尊敬する日本ファンタジーの巨匠が、現代日本で親しまれている「アラビアンナイト」について、原典から遠いということを指摘する際に使用した文言です。先生としては、我々の親しんでいるものは実はまったく原典からかけ離れているのだということを、強めに分かりやすく示すために使用したフレーズのようでしたが、私はこれをプラスに捉え、初めて読んだ時からずっと愛しています。
ここで挙げた彼らが楽しく地球の二周目に挑むことができていること、そしてふたつの原典から連綿と紡がれてきたたくさんの物語がこれからも愛され続けることを、私は心から祈っています。

