これまでXの下書きに溜め込んでいたけれども、どこにも出せなかったものをまとめて記事としました。いつもの通り、見えないものを見ようとしてオペラグラスを覗き込んだ結果、湧いて出てきた文章です。純度の高い妄想なので、そういうものを読むと気分が悪くなる人は、走って逃げることをおすすめします。
あと、さほど面白い文にはならなかったので、期待せずに片手間に見ることをお勧めします。通勤通学時の暇つぶしくらいにはなるかもしれません。
目次
◎はじめに
千織さん関連のツイートをしすぎたせいで、Xのおすすめ欄に宇都宮のおいしいお店の情報が流れてくるようになりました。草
◎トランペットのこと
「修行」でかなり個性を爆発させている九太たちの裏で、かなりやばい音のトランペットが大暴れしてること、皆さん知ってますか?(あんまり界隈のファンの動向を知らないので、常識だったらすみません。常識の可能性あるな)
あのトランペット、めちゃめちゃ楽しい。舞台見に行くよりも音源の方がよく聞こえるので、CDを聞いてみてください。
それに対して、暴走しこちらも感情を爆発させている一郎彦が「復讐の誓い」を歌っている、その裏のトランペットは比較的行儀がいいことも併せてご紹介したいです。これは本当に知られるべきポイント。もし、よくわかんねえなあ、という方がいたらよくぜひ聞いてほしいところです。
なお「新しい旅」には金管がいますが、「苦悩の果てに」に金管はいません。これも個人的に好きなポイント。
「復讐の誓い」、「ああ悔やんでも/もう手遅れだ/ああ見ていろよ」のところ、「ああ」「もう」の裏で少し遅れてペットが入り、その後同じ音程で一緒に鳴ってるのは、曲としてかなり好きですね。やっぱりここで盛り上がるよねえ、という感じがする。
上記のことを確認したい方は、「修行」は3:00〜(じつは最初からいるんだけどね)、「復讐の誓い」は最初から金管の音に注意して聴くといいです。
修行、一番高いところ上の上のラくらいまで出てると思います。たぶん。しらんけど。
なお、「修行」は始めジャズ調で、ギターベースピアノドラムのカルテットの音がしているんだけど、聴いていると少しずつ楽器が増えていきます。修行を続ける九太の周りに、だんだん街のバケモノたちが集まって、増えて賑やかになっていくさまを予感させる、非常によくできた編成だと思います。素人意見ですけどね。
◎攻略本みたいなの、ないの?
九太、攻略本読めたっぽいのに漢字読めないんだ、とはちょっと思いました。忘れたんかな?ルビが振ってあったんかな。お父さんと読んだのかな? 攻略本、うちにもありました。本当に大好きだった。擦り切れるほど読みました。
舞台の九太、世代的にはポケモンプラチナとドラクエ9やっていそうですね、九太だけに…。ドラクエ9はめちゃくちゃ分厚い上下の公式攻略本があって、これがすごくおもしろかったんですよ。
別件ですが、九太が九太だったのは9年間だけ、ということに最近気がついてエモい気持ちになりました。
◎ディズニー映画「ターザン」との比較
細田監督はミュージカル映画が好きらしい。美女と野獣が好きらしいので、ディズニー映画全体も好きだと思うんですが、ターザンも好きかな。
「ターザン」、みなさんご存知ですか? 見たことがない人はぜひ見るといいです。個人的に、これまで見たディズニー映画の中でも5本の指に入る名作だと思います。
そして、かなり「バケモノの子」に近い作品です。素晴らしい作品なので、ぜひ見ていただきたいです。1999年の作品です。
以下、ターザンを知っている人にしかわからない話。
バケモノの子、かなりターザンですよね。九太が人間の世界の記憶を持っていることと、ラストで身を落ち着けた場所が違うけれど、まあだいたい同じと見ていいと思います。
ターザンが眠るゴリラたちの間で1人だけばっちり目開けてるところを見た時に、映画で九太の教科書がモリモリ増えていくところや、舞台で楓から山盛りの本を受け取るところを思い出して、なんだかちょっとうるうるきてしまった。新しいものを知って、これから迎える不確定な未来をワクワクして待ち構えている、若い2人。どちらも本当に大好きです。
あと、ターザンでジェーンが映写機のランプに火を入れる「ストレンジャーズ・ライク・ミー」のシーンと、映画で炎の中にタイトルが浮かび上がるところと、舞台でたくさんの日が集まってタイトルになるところ。それぞれの作品でも特に好きなところです。私は火の演出が好きなのかもしれません。
また余計な話をしますが、映画「ターザン」がとても気に入ったので、公開当時のパンフレットを買って読んでみたら、最初のページの寄稿がなんと横尾忠則…! え、巨匠じゃん。めちゃめちゃ驚きました。
あと、四季、ターザンをレパートリーにしてくれ。
◎四季版九太は上品?
「豊かな毛並みをどうして受け継いでいないのでしょう………😢」の一朗彦(舞台のみ)と、「毛ぐらい生えてる!勝った!皿洗っとけよ!」の九太(映画のみ)、媒体は違いますが、この時点で勝負はついていた可能性があります。映画版のこれは、舞台だと熊徹の「世間知らずのひよっこが!」に置き換えられているとみていいのかな。一郎彦も、映画の九太くらいバカ言って切り捨てられたらよかったのかもね。
「毛ぐらい生えてる!」「どこにだァ!」、さすがに四季版では削除されたか。笑 普段の九太と熊徹の会話内容のバカさ加減が滲んでてあまりにもバカで毎回笑うんだけど、あれ絶対染谷将太の九太しか言わないですよ。大鹿・貞松九太は絶対に言わない。りすさんの九太も言わないと思うんだけど、1人だけ無理にでもあげろと言われたら、りす九太がギリ言うか…?という印象かな。でもまあやっぱ言わないでしょうね。
それから、別シーンになりますが、私は映画の「じゃ、今日からお前は十七太だ」に対する「九太で結構だ。」の返答がかなり好きなので、初めて四季版を見たときもそれを聞けるかとかなり期待していたのですが、りすさんはその私の期待を裏切り、穏やかに「九太でいいよ」と言いましたね。やってくれなかった、すこしさみしい〜と思いましたが、今思うと舞台版の九太はそういうキャラクターではないですね。舞台と映画では色々な違いがありますが、九太の性格はかなり異なっていると思います。
◎一郎彦の奇行
舞台では「苦悩の果てに」と差し替えられた、映画の中で九太を陰でボコボコにするシーン。あの一郎彦の奇行、みなさん覚えてますか?
あれ、舞台でも見たかったな、という気持ちがちょっとあります。一方的な暴力のシーンなので、そういう点では全く見たくないんだけど、怒って木っ端浮かせる一朗彦はちょっと見たかったかもね。
映画の再現をするとしたら、菊池さんは背後に木の破片浮かせながら九太の腹を際限なく蹴り続けそうだけど、千織さんは腹と顎に一発ずつ入れ、吹っ飛んだ九太の首根っこ引っ掴んで「次は殺してやる」と言いそうなくらい印象違うと思いました。次がありそうなあたり、千織さんの方が優しいかも。
笠松さんはどうなんだろう、と思ったけど、普通に何も言わずに腹を踏みつけにするんだろうなと思います。蹴るというより、踏みつけ。怖。
◎菊池彦のマフラー
菊池さんがマフラー使いに苦戦していたみたいな話を聞いたのですが、「いやよく考えたらそれで普通だよな!?というか逆になんで他の2人は特にそういう話がないんですか?バケモノの子つーか本人がバケモンだからですか??????」の顔になってしまったという話がしたかった、というだけです。
◎楓について
かなり演者によって違うというのは私だけが感じていた話ではなかったらしい。
山梨さんは見ていないから、そこだけは他の人の意見の総括になっちゃうけど、あとは個人的な私見をまとめました。こんな感じなのかな。
柴本楓:仕切りたがりで、頭は回るが、正義漢すぎてややクラスで浮いていそうです。親が教育熱心で、横国に行って高校の先生になりそう。白鯨は、有名だし読んどいたほうがいいのかなと思って買ってきた感じがします。もしくは、国語の課題で読まされているか。
竹田楓:オタクっぽい子で、癖が強く、広く浅くの友達をあまり持たないタイプかも。文学オタクで、だから白鯨を持っていた、という感じも少しします。親に望まれて決めた、対外的に公言している志望校と、本当にしたいことが違いそう。父親が医者で、それを継ぐことを望まれているが、本当は文学がしたい、みたいな。大学院までいきそうです。
山梨楓:比較的いじめられている様子が想像できるタイプという話を見ました。一家言ある方は教えてください。
竹田さんの楓を見ていて、親に決められた進路と本当にしたいことが違うとき(しかも医学部と文学部、くらいのレベルでの違いがあるとき)、どの大学に行けばいいか? っていうのを考えていました。親が納得しそうで、入学後に文理の壁を越えられて、しかも医学部があるとなると、もう東大しかなさそうですね。北大の総合でもいいのかもしれませんが、総合行くなら初めから医学部に入れ、とか言われるだろうし。楓、がんばれ…! 舞台を見る限りでは、楓は共通テストの足切りくらい軽く乗り越えそうですけどね。
あと、ついでに言っておきたいんですけど、男7枠ニット帽めっちゃ浪人しそうじゃないですか?これは誰からもそうだねって言われた事ないです。あんなに駿台にいそうなのにー。なお、駿台には通ったことがないので内実は知りません。笑
◎花籠
回る花籠が大好きで、花籠が出てくると花籠ばかり見てしまいます。九太が真ん中で歌っていても、必ず花籠を見てしまう。映画でも花籠のシーンが大好きで、あそこをきちんと舞台に落とし込んでくれたこと、本当に嬉しいです。
◎メルヴィルの「白鯨」
バケモノの子に影響されて白鯨を読み始めてみたのですが、イシュメールの財布が空になるの全然最初から二行目で爆笑してしまった。あれ、ほんまのほんまに冒頭やったんやな。4ページ目くらいかと思っていました。
まだ読み終わっていないのですが、読んでいて思ったこと。楓が鯨に関する子供用の図鑑を渡すのは、ヒゲクジラとハクジラの違いとかがわかるのでまあ妥当です。しかしその反面、「白鯨」を読んでいる限りでは、現代の図鑑にある分類と、「白鯨」時代の鯨の分類や認識とがかなり異なっていそうな感じがします。あの図鑑を読むことで更に九太が混乱した、という可能性も大いにある気がしました。
白鯨ことモービィ・ディックはマッコウクジラなので、ハクジラですね。一郎彦の鯨には牙も生えてますが、そのほかにもしっかり歯が生えそろってますよね。なお、私は実はヒゲクジラ派で、好きな鯨はシロナガスクジラです。
白鯨全く読んだことないのに、最後相討ちになって船は難破し全員死んで終わるとばかり思い込んでいて(実際どうなのかは全く知らない、ネタバレも遠ざけています)、なぜこんなイメージがあるのか全くわかりませんでした。しかしこれは多分、リムスキーコルサコフの交響組曲「シェエラザード」の第四楽章のタイトルとごっちゃになっていますね。「バグダードの祭り。海。船は青銅の騎士のある岩で難波。終曲。」というやつです。
◎おわりに、一郎彦の鯨について
これは私が初めて舞台「バケモノの子」を見た時に直感的に思ったことで、かなり強く心に残ったので、「設定上はそんなことありませんよ。」と言われたら悲しくなっちゃうなあ、と思って誰にも言うことができなかった内容です。どこにもそんな設定のない私の妄想で、公式が言っていることと矛盾すらあるかもしれませんが、私はこの初見の直感をすごく大切にしているので、あまり突っ込まずにそっとしておいてください。もしかしたら公式が、私の言った通りのことを言っている可能性もないではないですが、それも知らなくていいです。あまり探さないようにしています。そのことを、メモがてら書き残して、この記事を終わりにします。
初めて舞台版の一郎彦の鯨を見たとき、あ、氷の鯨なんだ、と直感で確信しました。誰からも心を閉ざして一人遠く遠くへ逃げた一郎彦が変貌したのが、映画の水の鯨よりもさらに温度の低くなった白い氷の鯨なのは、すごく納得できる気がしました。それを斬って元に戻そうとする熊徹が炎の刀になるのも、同時に合点がいきました。
そもそもバケモノたちはみな炎で表現されているのは、舞台版のファンなら周知の事実ではありますが、そこに闇に囚われた人間として氷の鯨をぶつけてくると言うのは、美しくもあり切なくもあり、大変印象に残りました。それが弾け飛んだのを、氷のかけらではなくてシャボン玉で表現しているんだなあ、と思って、初めて見たときにとても感動したのを覚えています。
以上です。お読みくださった方がいましたらありがとうございました。白鯨とかいう小説、長すぎだろ。いつ終わるんだよ。おわりです。

