お久しぶりです。しばらくブログの方を更新していませんでしたが、何度かゴーストアンドレディを見る中で少しずつわかってきたことがあるので、ちょっとその話をしたいな、と思って更新してみることにしました。
まず、初見の頃の話を少ししてみます。まず、これはみなさんにお伝えしてありますが、私の中での分からなかったキャラクターランキング堂々の第一位は他の全てに大幅な差をつけてデオン・ド・ボーモン(岡村美南)でした。これはたぶん「デオン好きだけど理解はできん笑」みたいなファンもいそうだなと思って、結構対外的にもそういう話を発信していました。
そしてもう一つ。こちらは結構キャラクターが人気のようなので顰蹙を買う気がしてあまり人には公言していなかったのですが、行動に納得がいかなかったキャラクターランキング堂々の第一位は、正直に申し上げますと、これまた他の追随を許さない勢いでエイミー(柴本優澄美)でした。
どちらも、あれから何度か見て、かなり色々混乱したりもしつつ、名古屋の最後のチケットを消化するその日になってようやく私の中でそれぞれの答えが出た気がしましたので、そのことを記事にまとめます。この記事ではエイミーの話をします。
みなさんよくお分かりだと思いますが、このブログは主観が128割です。客観的な文章は一文字もありません。自分は違うことを思った、という方もいらっしゃるでしょうが、ムカついた場合でも私の魂を攻撃して気絶させるような真似はせず、適当に読み飛ばしたり、温かいお風呂に入ったりして、無視するようにしてください。
◎不思議ちゃんエイミー
最初に前提の話をしておきます。これは名古屋ゴスレ通い人(かよいんちゅ)にはだいたい納得してもらえるかなという内容ですが、柴本さんの方が不思議ちゃんで、竹田さんの方が思考が読める感じがしました。正直「バケモノの子」の楓は(私が見る限り)逆な感じがしたので、最初にお二人をそれぞれ拝見した時にかなり混乱したのを今でも覚えています。あと、もう一つ。これはあまり本質的な話ではないのですが、二人とも声めっちゃ似てますよね。映像も前情報もなしで「本当の私」や「あなたが遠くて」を聞いたらどっちかわかんないんじゃないかなと思うくらいです。
私が最後に見たエイミー(8/8)は竹田さんで、これまで柴本・竹田コンビを何度か見て、最後の一押しの納得感をくれたのが竹田さんだったな〜という感じがしています。
ここでまた初見を振り返りますが、初見時の私の「エイミー納得いかねえポイント」としては、やはりアレックスとの結婚ですね。あそこは正直初めて見た時、フローにもエイミーにもアレックスにも納得できないという不満爆発シーンと化していて、長らく消化不良のまま今まで来ていました。
まず、フローには「絶望してるけど、振ったのはあなたが先でしょう。なぜ?」と思いました。これに関しては、数少ない人間の男性の心の支えが一つ減ったことと、何より君は陸軍から攻撃されているよというアレックスの言葉による絶望だとわかりましたので、今では「なぜ?」とは思っていません。
次にアレックスですが、これは言わずもがな、エイミーとの結婚を決めるのが早すぎるということですね。これに関しては特にこれ以上コメントすることがないので放っておきます笑 みんな思ってるだろうし。
最後にエイミーですが、やっぱりちょっとフローの婚約者を横から掠め取って行った感が否めない……。そんな子だったのかよ……という気がかなりしていました。他は全部いい子なだけに、そこだけどうしても個人的には納得できませんでした。エイミーへの消化不良感はこの辺りでかなり強かったのですが、色々見る中で少しずつわかってきて、今では初見のモヤモヤはほとんどなくなっているので、ここからはその話につながるように書いていってみます。
◎エイミーの絶望
本題に入りますが、エイミーとは何者かを理解する上で一番大事なんじゃないか、という結論を出したシーンがあります。恥ずかしながら、8/8以前はそこにエイミーがいることを全く認識していなかったので、それにもっと早く気づけていれば、もっと早く理解ができたのでしょうが……。
それは、ホール長官初登場の「これが戦争なのだ」のシーンです。私はホール長官が、というか芝さんが結構好きなので、ここはこれまで長官ばっかり見ていたのですが、ふと下手に目をやるとエイミーが呆然と立ち尽くしているじゃないですか。ここの竹田さん、マジでほとんど動かない。たまに看護婦同士で肩を寄せ合って何か言ったり、ナイフを取り出した長官に怯えたりはするんですけど、基本的には長官が使い捨ての兵士の話をしたり、フローの正論を拒んだりするのを、ただ立ち尽くして全身に浴びている感じでした。
あ、エイミーの夢がひび割れた最初の一撃はこれだったんだな。そう思いました。
私はそれまで、包帯を巻いていて怒られたところあたりから心が折れ始めたのかな、と思っていたんですが、たぶんそれじゃなくてこっちなんじゃないかなと認識を改めました。包帯事件は苦しかったでしょうけど、最初の難関というくらいで、夢が割れるほどではないと思います(フローとの遠さを感じた最初のシーンだとは思いますが)。
「これが戦争なのだ」のうちで、特に私がエイミーに影響を与えていそうだと思ったのは、「代わりはいくらでもいる」のところです。エイミーはここでも身じろぎせずに長官を怯えた目でじっと見つめているだけでしたが、自分もその代わりがきく一人にすぎないのだ、と思っていてもおかしくない、と思いました。
いいところのお嬢ちゃんで、大切に大切に育てられてきたであろうエイミーが、「代わりはいくらでもいる」と言われて受けるショックはとても大きいと思います。それが自分ではなく、文脈上は兵士たちを指しているものであったとしても、他人を指してそう切り捨ててしまえる人というものに、エイミーはこれまで一度も出会ったことがなかったのではないでしょうか。その上、兵士たちと一緒に戦う自分も、兵士と同列に語られているように感じても仕方がない文脈での「代わりはいくらでもいる」ですので、エイミーはかなりガツンとやられたんじゃないかと思っています。
そう思うと、エイミーがアレックスと結婚することを決めて「自分のゆく道 見つけました」と言うのも納得できる気がしてきます。代わりのきかないたった一人になって、誰かのために人生を捧げること、それこそが自分のやるべきことで、人生の上でしたいことだとエイミーは気づいたのではないかと思いました。心優しく、素直で、けれどもちょっと視野が狭い、かわいらしい彼女の精一杯の夢の落とし所。初めてエイミーを見た時、可愛い顔をしておいてその言い分はないんじゃないの、と思った私がいたことは確かですが、こうして色々と思い返してみると、エイミーが精一杯やり抜こうとしてたどり着いたのがあの結果だったということがよくわかって、今の私は彼女を責める気持ちにはなれないのでした。
◎耐久性の低さ
そして同時に、このシーンでもう一つ感じたのは、フローへの攻撃を常にエイミーも横で聞いているという状況が、(私たちが舞台を通して見えている部分以上に、見えない部分を含めて考えると)とても多いのではないかということです。フローはエイミーの上司であり皆の団長でもあるので、フローへの攻撃はエイミー(を含む看護団)への攻撃に他ならないわけですが、これを横で聞いていたエイミーの心情は察して余りある気がしてきます。フローがやり過ごした分の攻撃を、心優しく素直で、その分耐久性が低いエイミーが全身で受け止めて、代わりに苦しんでいたんじゃないかなという気がしてきました。
唇を噛み締めて耐えるフロー、なんでもないような顔をしてやり過ごすフロー、強く速く一人で遠くまで行ってしまうフローを見て、彼女が鈍感で傷つかない(ように見える)分の痛み、つらがっていても仕方がないからと無視している分の苦しみを、エイミーは代わりに全身で担ってしまったように見えました。
もちろん我々観客は、フローがしっかり傷つき、じわじわと体力を削られていくところを目の当たりにしていますし、エイミーの結婚報告直後で一度絶望の淵までいくこともわかっているわけですが、おそらくエイミーにはそれが見えていません。団長はなぜあんなに強いんだろう、気づかないふりができるんだろう。私は苦しい、私は辛い、私だったら耐えられない。団長はなぜ……、と思っていたんじゃないかと、やや斜め上の妄想かもしれませんが、穿ったつもりで考えていました。
このあたりで、ゴスレを始めて見た時の感想を見返してみたら、「アレックスと出会ったばかりのフローはエイミーみたいな女の子だったんじゃないか、アレックスの好みはそういう子で、だからかつてはフローが好きで、今ではエイミーが好きなんじゃないか」というようなことを考えていたのを思い出しました。それと繋がるかどうかはわかりませんが、フローが傷つくべきところで何倍も傷ついてしまう、幼くて打たれ弱いフローがエイミーだったのかな。というような気もしてきました。
もちろん、看護の仕事がなかなかできるようにならないとか、身体的に疲労が溜まり、人の死と向き合う職場で精神的にも疲れ果ててしまったとか、そういう色々な要因が他にもたくさんたくさんあると思います。そういうものに加えて、こんなところに辛い仕打ちがあるとは思わなかった、と言いたいような、陸軍との軋轢や看護団への拒否感という横槍が大きな一撃となって、エイミーは完全にやられてしまったのかもしれません。そういうものも全て乗り越えてまっすぐ走り続けるフローに、彼女はとうとうついていくことができなかったのでしょう。
◎おわりに ➖おれたち皆エイミー
これは個人的にちょっと驚いて、かなり意外だな(私の感想とは異なるな)と思ったことだったのですが、ゴーストアンドレディのファンには、どうやらそれなりの割合でフローに自分を重ねて見ている人が多いようです。私も三人素人を連れて観劇した回があったのですが、そのうち二人はフローが自分と重なって泣けた、と言っていました。
それを聞いて、意外だ、と思いましたが、同時に、なるほど、とも思いました。そういうことを考えると、彼女を追いかけ、彼女の身になって泣き、同じように強くありたいと思える私たちは、フローでもありエイミーでもあるのかな、という気がしてきます。グレイがフローレンス・ナイチンゲールの一生をこうして戯曲にする中で、彼女を共に追いかけるキャラクターとしてエイミーを登場させたのもよくわかる気がしてきます。フローに憧れ、いつでも彼女のようにありたいと思って劇場をあとにする我々は、みんなエイミーなのかもしれません。
エイミーの考察は以上です。次の記事ではデオンの話を書こうと思いますので、よければそれも見てください♡

