「東洋のジャンヌダルク」に非ず

「東洋のジャンヌダルク」に非ず

ディズニー映画「ムーラン」が好きになり中国史に凝り始めました(まだ全く手をつけていませんが)。手始めにファ・ムーラン(花木蘭)伝説を描いている、映画よりももう少し史実に則った、時代小説らしい作品を読んでみたいなと探していたところ、田中芳樹作『風よ、万里を翔けよ』に出会いました。これがけっこうおもしろかったので、ちょっとメモを残しておきます。

⚠️注意! 映画ムーランと、『風よ、〜』と、あとなぜか大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のネタバレがあります。

◎時代小説は嫌いじゃないけど…

導入として、まったく関係のない話をするので、次の部分まで読み飛ばしていただいても構いません。

もともと時代小説は嫌いではないのですが、そんなに読む方でもありません。人生を振り返ってみれば一番よく読んでいたのは小学六年生の一年間だったので驚きです。新撰組の沖田総司に出会った頃で、いわゆる「ガチ恋」状態。沖田総司のためなら漢字が多かろうが難しかろうが大人向けだろうがどんな本でも読みます、という、恋心により2ミリくらいに狭まった視野のもと、図書館で「沖田総司」と名のつく本を片端から借りてきては読みまくっており、そのまま厨二病に突入しました。もうあまり内容も覚えていませんが、子供ながらに面白いと思ったのは早乙女貢『沖田総司』、それから大学生になって読んだ、司馬遼太郎『新撰組血風録』もべらぼうにおもしろかった。

話がそれました。そうして中三の四月ごろまで厨二病をやっていたのですが、その頃親友だった隣のクラスの女の子(今でも仲良しです)が、今の私が愛してやまない荻原規子大先生の『レッドデータガール(RDG)』を貸してくれたことが大きな転機となりました。『RDG』は和風ファンタジーと学園ラブコメの融合といった作品で、あれを読み、高校生になったら深行みたいなイケメンの彼氏を作るんや…とケツイを漲らせることに成功し、私の厨二病はそこで終わりました。あれ以上続いていたら目も当てられなかったと思うので、本当に良かったです。なお、『RDG』はこの記事を読んでいる人にもファンがいるんではないかな? もしいたら仲良くなりましょう。

そしてその親友ちゃんとは無事同じ高校に進学したのですが、一年生の時だったかなあ。「絶対好きだから読んで」と言われて貸してもらったのが、同じ荻原先生の『風神秘抄』という作品でした。「めっちゃ面白い和風ファンタジーだよ、RDG好きなら絶対好き」と言われて押し付けられたこの作品の、最初のページの冒頭がもう凄くて、私はそこだけ読んで二週間か三週間くらい放置した覚えがあります。

いわゆる「源平の合戦」のさきがけとなった「平治の乱」を描いた作品なので、その乱の発端を説明しているのですが…。

夜明けとともに紫宸殿南庭に集結した兵たちは、形勢が逆転したことをすでに知っていた。彼らが守護する大内裏に、今となっては帝も上皇も不在だった。…平氏が逆臣誅伐の宣旨を手に入れるのは時間の問題だった。(荻原紀子『風神秘抄 上』p.6、徳間書店)

なんやこれ。ゴリゴリの時代小説やんけ。

いくら荻原先生の作品でも、和風ファンタジーじゃなきゃ嫌なんだが

親友ちゃんに「和風ファンタジーだから」と言われたことも忘れて、「時代小説を読みたい気分ではない」と思い、だいぶ長いこと放置していたんですね。でも、実際めちゃくちゃ難しそうじゃないですか? これがファンタジーだなんて、ほぼ詐欺ですよ。これは。しかし他人から借りたものをずっと抱えているわけにもいきません。あるとき「そろそろ返さなきゃ」と一念発起して読み始めたところ、かなり濃い和風ファンタジー(不思議な笛を吹く少年や、喋るカラスが出てくる)だったので、寝食も忘れるほど没頭して一日か二日で読み切ってすぐに返しました。今や荻原作品で最も好きな作品です。が、冒頭を読んだ時の衝撃が拭えないままでもあります。

◎本物の時代小説

どうしてこんな話をしたかというと、『風よ、万里を翔けよ』では全く逆の驚き方をしてしまったからです。たぶん、私が時代小説をあまり読み慣れていないから、というだけのことだと思うんだけど、衝撃だったので書いておきます。以下は冒頭の抜粋です。

…木蘭の手に小さな淡紅色の花が握られている。左隣に馬を並べていた賀廷玉が、興味を込めてそれを眺めやった。「何という花だ、子英」子英とは、木蘭が仮につけた字(呼び名)である。…いま木蘭は悔いている。可憐さに惹かれてつい花を抜き取ったのだが、よしないことをしてしまった、と。(田中芳樹『新装版 風よ、万里を翔けよ』pp.10-11、中央公論新社)

風神秘抄よりよっぽどロマンスの匂いのする文であります。

賀廷玉(が ていぎょく)というのは木蘭(もくらん/ムーラン)の相方となり、長年運命を共に預けあいながら戦うことになる男で、『風よ、〜』では最終的に木蘭といい仲になります。ディズニーでは実写のリメイク版にそれらしき人物がいるようです(見ていません。また、若干異なるようです)が、アニメ映画版には存在しません(シャン隊長はどちらかというと賀廷玉よりも沈光という別の人物に近い感じがするので、ここで例えるのはやめておきます)

ところが中身を読んでいくと全然違うことが判明しました。ゴリゴリの時代小説やんけ! 紀伝体なんか????

なんというか、木蘭と賀廷玉のまわりで少しずつ滅んでゆく隋(木蘭伝説には様々な説があり、『風よ〜』では隋の時代としています。ディズニーはまた違うようです)が凋落するまでを木蘭視点で描いた作品なのかと思っていたのですが、蓋を開けてみたら、木蘭と賀廷玉、半分も出てこないんやが。いやガチで何で!?

なんか、隋の中心や、木蘭たちとかかわる将軍や有名な兵士の話にものすごく紙面を割いているんですね。そいつらの動向を追っているときは、木蘭はあんまり出番がないわけです。しかも、伝説からとった木蘭と賀廷玉以外のキャラクターは全員実在の人物だそうで、つまり紙面の半分以上を割いて歴史そのものを追うという体をとった小説になっているということになります。ものすごくよく調べて、練った上で書き始めたんだな、と思いました。田中先生がそういう描き方を得意とする人なのかな。この作品以外を読んだことがないのでわかりませんが、銀河英雄伝説とか読んだらわかるんだろうか。

だから、どちらかというと、木蘭とはどういう女の子だったか、という話がしたいというよりも、歴史の中に木蘭伝説を位置付けるという試みをしたい作品なんだな、と思いました。この試みは、ディズニーでしかムーランを知らなかった私のような人物にとってはかなり新鮮でもあり、またディズニー映画においては全く成されなかった(そして私にはそれが少々不満でもあった)ことなので、新しい視点からムーランにまた会うことができたと思えて、私はこの作品がとっても好きになりました。映画ムーランが好きな人には、ぜひ読んでほしい作品です。

ただ、やっぱりその分、木蘭と賀廷玉の心の触れ合いや、彼らと他の人々との交流を期待して読むと、物足りないかなという感じもします。歴史を追う形で話が進むということは戦争と政治の話に終始しているということでもあり、そういうのがあまり好きではない人は、読んでいるとちょっと苦痛かもしれません。読み終わったあと、「もっと絡みくれよ」としばらく大暴れしていたのですが、よく考えて気づきました。映画ムーランもっかい見直せばいいんじゃん。ディズニー版はそっち特化ですからね。気づくの遅すぎ。

◎登場人物について

私の好きなキャラクターは「肉飛仙(生きた空飛ぶ仙人、くらいの意味だと思います)」沈光(しんこう)です。木蘭と賀廷玉の友人でもあり上司でもあり、木蘭の男装にちっとも気づかない賀廷玉と違って、おそらく最初期の頃から木蘭の正体に気がついていた人物です。木蘭の上司であり、その実力でどんどん名声を勝ち取ってゆくさまは、立ち位置としては映画のシャン隊長に近くもあります。が、隋の皇帝の後釜についた男がゆるせなくて反旗を翻し、戦って壮絶に死んでいくという運命が待ち構えている点は、シャン隊長と全く違うといってよいでしょう。歴史では少しも打撃を与えることなく死んでしまうようですが、そこをあと一歩で、というところまで彼の生を引き延ばしたのは、田中先生の優しさかもしれません。

木蘭が沈光に頼まれて、男装しているのにさらに女装をして(宝塚なの?)後宮に忍び込むという短いシーンがあるのですが、ここはかなり好きなシーンの一つです。去り際に後宮の入り口を警備していた賀廷玉に会ってしまって、でも全く気づかれないという。こういう察しの悪さは、賀廷玉のほうがシャン隊長的だなあと思いながら読んでいました(そして荻原ファンにしかわからない話ですが『薄紅天女』の阿高やんけ! ともなります)。

あと、沈光はキャッツで言うとミストフェリーズとかギルバート(シャム猫隊長ver.)みたいな、細身でやや小柄だけど敏捷で頭が切れて手強い、みたいなタイプなので、そういうところもちょっとシャン隊長とは異なるかなと思いますが、これは多分私の勝手な印象なので、読む人によって感じるところは違いそう。上で取り上げた「風神秘抄」の草十郎みたいな。シャン隊長はマンカストラップとかタガーみたいな、大柄でいかにも強い、腕に覚えがあると形容したいタイプで、賀廷玉もこっち。風神秘抄で言うと義平とか、正蔵とかと同じタイプかな。正蔵はおじさんだけど。もっとも隊長の印象については、日本語吹き替えを四季出身でマンカストラップ経験者の園岡新太郎さんが担当しているというのも大きい気がしますが。

奇しくも、「しんこう」というのは「RDG」の主人公の相手役「深行(みゆき)」のあだ名と一緒だな(彼は「ミユキ」と呼ばれるのを極端に嫌がり、音読みならよくね? と判断した同級生に「シンコウ」と呼ばれています)。あと、沈光の字は「総持」で、漢字は違いますが沖田総司と同じ名前。何だかちょっと縁を感じました。

沈光は甲冑も着ないまま何十人も相手にした中で、あと一歩のところで逆賊の首を手にかけられずに壮絶な最後を遂げ、そのさまは4ページほどにわたって長々と描かれるわけですが、そのシーンを面白く読んだと同時に、映画ムーランのその後、もう少し歳をとったシャン隊長がそういう死に方をしないかかなり不安になりました。隊長はなんというか、これまで世話になった自分の国がそういう危機に陥った時、単騎で敵陣に突入してそのまま死んでいきそうな無茶っぷりが映画(続編含む)を見るかぎり見え隠れしていて、そのあたりはやっぱりすごく沈光っぽいんですよね。中国男児、東アジア男児としてそういうところはすごく格好いいと思うけど、こちらとしては贔屓にしている以上早死にしてもらっては困るわけです。

でもやっぱりそういうところは、他のディズニー男子たちには(女子たちにも)ない、かなり珍しいタイプの魅力でもあるなあとも思うので、表裏一体ですかね。同じ頃の映画を見ても、アラジンとか、エリックとか、シンバとか、こいつらは絶対そういうことはやんなそうだし。まあ、彼らは自分自身が王子だったり、支配者層だったりするので、立場から違うと言えばそうですが。その点はノートルダムの鐘のフィーバスが近い境遇かな? でもフィーバスのほうがずっと打算的な気がするし、敵陣に単騎突っ込んで「見ろ、これがおれだ」などと叫びながら数十人を相手取って死んでいく、みたいなのはフィーバスはやらなそうというか、それをしそうで不安だ、という気持ちにはあんまりなりませんね

私はムーランも大好きなので、シャンが死んだ時ムーランはきっと人前では泣かないだろうなとか思うと、彼女の境遇がつらくて、そういう点でも早死にされるのはしんどすぎるし、大変困るわけです。俺たちのムーランを悲しませるんじゃないよ。開いて敷物にしてやろうか? 未来の将軍を捕まえておいて変な話ではありますが、太平の世で穏やかに暮らしてほしいです。間違っても木曽義仲の最期に連れて行ってもらえない巴御前みたいなことには絶対にならないでほしい。プリンセスは幸せじゃなきゃ。シャン、お前にその責任があるの、わかってんだろうな、あ゛?

読んでいて沈光が死んだとき、ショックでどうしていいかわかんなかったです。嘘だろ…となって一度読む手を止めてしまいました。同時に、えっさすがに賀廷玉は…賀廷玉は死なないよね…?とWikipedia先生に聞いたりしました。めちゃくちゃ動揺している。大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」で上総介が死んだとき以来の動揺ぶりです(賀廷玉は死にませんでした)。最終的に賀廷玉と木蘭がくっついたのを見て、二人の大好きな部下がいい仲になったのをにこにこ眺めつつ、木蘭が女なのに最後まで気がつかなかった賀廷玉をからかって「わかっていたならどうして教えなかった」と怒られてほしいです。どうして死んでしまったんだ。スピンオフ作品を、くれよ…。(切実)

あと、全然関係ないんだけど、ラストもラストで木蘭について彼女の故郷に行った賀廷玉が、木蘭に「ここで待っていて」と言われてやることがなく、梅湯を三杯も飲んでお腹をタプタプにしているのが結構好きです。なんていうか、全体的に無骨で女関連となると急に手際が悪くなり、腕っぷしはめちゃくちゃ強いのに変なところで気が回らない、みたいな、こういうところがかわいいんですよね、賀廷玉は。あと、やることがなくてむやみやたらになにか飲む、というのは現代人にもよくある話。なので、そういう点でもちょっと笑えてよかったです。その後木蘭の両親に会ってしばらく話をしたあと、「あの、トイレどこですか…」てなってそうなのも賀廷玉らしいというか、ちょっと思い浮かぶ気がして好きです。

そのほか、木蘭がそれなりの地位を得て兵を率いて次々闘いに赴く様子とか、女を買いに妓楼に行くふりをして性別をごまかす短い話(ディズニーじゃ絶対描けないからね!)とか、そういう部分部分のエピソードには事欠かない感じも、読んでいて楽しかったですね。それぞれのエピソードはどれもキラッと輝いていて、かなり好きです。

◎おわりに 西洋の花木蘭

あんまり作品そのものの魅力を語り切れていない気もしますが、気になった方は映画ともどもよろしくお願いします。ディズニー版は実写の「ムーラン」もあるのですが、これ隊長いないの悲しすぎて見れてないんだよね。上司との恋愛はパワハラめいている部分があるということで消されたという噂(本当かは知りません)を聞きましたが、なんだそれ! ポリコレも大概にしろ! と思いつつも、実際隊長って部下なぐりますからね。訓練とはいえボコボコに殴りますから。そう思うと何とも言えなくはある。でもその代わり(?)賀廷玉いるらしい! なんというか、昨今の騒動(某雪姫とか)を眺めていると、「実写やりたいね。うーん、隊長切る必要ありそうだけど代わりに賀廷玉だすか〜!」という方向に舵を切ったのは、かなり原作に忠実というか、妥当な選択だった説あります。が。やっぱり隊長いないの悲しすぎ。そのうち気が向いたら見るかもしれませんが、みないかもしれません。

花木蘭(か・もくらん/ファ・ムーラン)について説明するとき、やっぱりどうしても「東洋のジャンヌ・ダルクだよね」と説明すると話が早いのですが、じつのところ、木蘭伝説の初出はジャンヌダルクから遡ること千年前。もっとも早いものを参照すると、木蘭伝説は五世紀ごろからか、と言われており、ジャンヌダルクは十五世紀の人物ですから、驚くほど大きな開きがあるわけです。ムーランが東洋のジャンヌダルクと言うよりも、ジャンヌダルクが西洋の花木蘭、と言うべきかもしれません。ていうか普通に千年ってやばくないですか?

また、映画ムーランではムーランが軽々と漢字でカンペを作成している(*1)ところから話が始まるのですが、同時代である五世紀ごろの日本に目を向けると、ひらがな・カタカナはまだ存在すらせず、日本語をそのまま書く術はほぼありませんでした。知識人たちが集まって頭を捻ってようやく鉄剣に「ワカタケル」などと名前を書くのが関の山(稲荷山古墳鉄剣銘)。中国ではそこら辺の女子ですら漢字を使いこなしているというのに(映画の話なので実際はわかりませんが)! やっぱ中国すげえなあ、と思って、そういう点からも好きになりましたね。ぜひ見て/読んでみてほしいです。おわりです。

*1 漢字のカンペ…ここ、じつは竹簡(竹でできた巻物)の向きがおかしくて、それがかなり許せていません。この映画、いろんなところでしっかり中国を意識している反面、若干文化理解が及んでいない部分も多々あり、そういうところは少々残念です。あまりケチをつけたくはないのですが、気になる人もいると思いますし東アジア人の矜持として指摘はしておきます。でも、やっぱり大好きな映画です!