『蒼穹の昴』浅田次郎(宝塚雪組版含む)

『蒼穹の昴』浅田次郎(宝塚雪組版含む)

浅田次郎の小説『蒼穹の昴』を読みました。その感想を書いています。

もとは宝塚雪組版があったことで知った話です。ちょうど楽天で月組版の「応天の門」が配信されており、それを見たら、歴史物が足りないぜ。と欲が深まったので、隣に表示されたのをそのまま見た、という経緯があります(たぶん)。舞台も小説もかなり難解で、初めて雪組版を見た時は「面白かった〜」くらいの感想しか抱けなかったのですが、改めてWikipediaなどで調べながら小説を読んだところ、とんでもない面白さでたまげました。そのあとで雪組版を改めて見返したところ、かなり色々なことがわかるようになっていて、前回見た時よりもずっと楽しめました。原作読んでから雪組を見るのがすごくいいと思います、両方の理解がかなり深まるので…。

私はそもそも三人組というのがすごい好きで、自分も中高時代はクラスの仲のいい女の子二人と三人組を結成してつるんでいたものですが(クラスが変わり二人ともと離れても、異なるメンバーを探してまた三人でつるんでいたくらいの三人組好き)、この作品にも三人組が登場するので、それだけでかなり好きになりました。というわけでこの三人組を中心に感想を書きたいです。光緒十二年の科挙で、首席・次席・三席だった三人です(全員架空の人物)。

その前に読んでよかったなあと思うことを。私は世界史がすごく苦手なのですが、今回この話を読んだので清朝末期のことについては人並みに理解できるまでになりました。初めて読んだ時は李鴻章とか袁世凱とか、名前しか思い出せなかったのですが、読み終わる頃にはかなり解像度が上がっていました。こういうところも、歴史物のいいところですね。大河ドラマとか、受験生にこそおすすめしたいんだよなあ。時間ないけどさ。

◎三人組その② 順桂(シュンコイ)

科挙の次席です。なんでこいつからなんや。という感じですが、文秀に最後に来てもらうためです。

まず、一つ気になったのが、字(あざな)が出てこないよね? みんな順桂って呼ぶよね。なんでだろう。漢人ではなく満州人だからかな?

彼に限らず三人組は全て架空の人物ですが、科挙で次席だった彼を満州民族にしたのはよかったなあ、と素人ながら思いました。君ら漢人にはわからないだろうけど、って確か一巻で二回言うんですけど、そうだよね。という。漢人ですまんの〜と嫌味も言いたくなるけど(そして私は漢人ですらないが)、正直実際に文秀(ウェンシウ・主人公)や王逸(ワンイー)にはわからないこともあるだろうから、言い返せるようなことでもないし、紫禁城内外の入り組んだ勢力関係を彼のその一言で端的に表していて面白いな、と思いました。

光緒十二年の科挙ではなく、康熙帝や乾隆帝の時代に進士に登第していたらどうなっていただろうな、というのは三人の中では彼に対して一番思うことだなあ、という感じがします。時代の流れに飲み込まれ、若いまま死んでいったうちの一人で、どうして彼のような優秀な人材を亡くさなければならなかったのかと悔やまれました。読んでいて。

雪組版では現在「SIX」で大活躍中の和希そらさんが演じていますが、これがなかなか面白いので、順桂(シュンコイ)推しの皆様におかれましては是非見ていただきたい所存(いるんか?)。背中に定規とか入れた? という感じのクソ真面目っぷりで異彩を放っています。あと、雪組版の順桂、暗い。後述する王逸に生気を吸われています。小説版はもう少し明るいというか、奥方をもらっているというのもわかる感じで、無口だけど穏やかな、爆弾魔!?!? と言いたくなる白皙の士大夫のイメージでしたが、雪組版の方は、爆弾魔だよね〜。という感じがしました(なんだそれ)。

和希そらつかまえて「爆弾魔だよね〜。」とはどういう了見じゃコラ。という感じですが、実際そうだったので…。

上演の都合上だと思いますが、雪組版の順桂、かなり視野が狭いんですよね。しかもどんどん狭くなる。葉赫那拉(イェホナラ)の呪いの話が出てこないこともあり、ただとにかく西太后を廃さなければ、という思いに強く強く取り憑かれていくという様子で、途中からは思想がかなり偏っていましたね(客席からは見えないところで葉赫那拉の話も出ていたのかもしれませんが)。こういうところが、行き着く先としての爆弾魔を彷彿とさせるかな、という感じがしました。サングラスの話は舞台でも欲しかったな。

三人で科挙の話をする時の、「爺さん血ィ吐いて死んでんだよ!」「嘘だろ」「ほんと。」というやりとりが大好きで、あそこの「嘘だろ」の表情作りは傑作です。そこばかり何回も見ています。

◎三人組その③ 王逸(ワンイー)/嘉六(ジアロウ)

推しです。科挙の三席で、字は嘉六(舞台では呼ばれません)。

科挙に受かってから日清戦争までの、やや短気で闊達な正義感にあふれる彼も大好きなのですが(こういうキャラが大好きなので出てきた途端に推しになりました)、やはり特筆すべきは「宇宙」のエピソードだな、と思っています。袁世凱の殺害未遂以来全く音沙汰がなくなってしまって、彼どこいったの!?!? とずっと探していたのですが、途中とラストに短いエピソードがそっとはさまれていて嬉しかったです。どちらのエピソードもとてもよかった。その一生は(続編を確認した感じでも)文秀とはもう交わることはないようですが、どこかで生きていてくれていると文秀にも信じていてほしいな、と思います。

何もかもを奪われて牢に繋がれていても、死地を求めてさまよい歩くはめになっても、それでも彼の頭には漢籍が詰まっていて、胸にはかつての同志たちと同じ思いがあるのだ、という描写が大好きでした。全てを失っても俺にはこれがある、と自分の頭の中にあるたくさんの漢籍を思い出し、それを武器ではなく人との繋がりの手段とすることを試みて、どうにか強く生きて未来を切り開こうとするとする彼が大好きです。私は言葉と古い書物がとても好きなので、好きになったキャラクターが、そういうものを拠り所にして生きていくことを決めるのは、涙が出るほど嬉しいことでした。

余談になりますが、日本でいう「いろは歌」にあたる千字文が、「天地玄黃 宇宙洪荒」で始まるのはかなり激アツだなと思いました。なんてすてきな書き出しでしょう。と思って確認したら、その後がバカみたいに長くてちょっと心が折れました。あたりまえですが千字あるんですよね。そういえば、もしかしたら日本の「あめつちの歌」も千字文から影響を受けているのかもしれません。拙い作だとも言われがちですが、私はあめつちの歌も結構好きです。

推しと女の子の絡みが大好きなので、奥方がいないままになってしまったのは本当に残念です。太字にしたいほど残念です。日清戦争の後、李将軍と冷飯を食いながら生きていたところそこらへんの女の子に惚れられてしまうみたいなドタバタスピンオフ、誰か書いてないのかな。くれよ。おい。

雪組版の王逸は一禾あおさんが演じており、彼女は新人公演で春児(チュンル・本公演では朝美絢)も演じていたようですが、正直想像がつかねえなあ。全然違う役ですからね。ちょっと興味あります。

順桂は舞台版だとかなり暗くなっていましたが、逆に王逸(ワンイー)はビックリする明るさ順桂(シュンコイ)から明るさを吸った代わりにつらさと暗さを全部明け渡した感じで、お前、どうした!? とちょっとなりました。ただ、あの明るさは短縮版である舞台ではかなり彼の性格づけを支えており、たとえば科挙のシーンこそありませんでしたが、隣の爺さんにキレている様子とか、合格した時の「お母さん、褒めてよ! 進士になったんだ!」と叫ぶのとかはありありと想像でき、かなりよかったですね。

順桂と王逸は正直足して二で割って二人に戻せば、ちょうど小説版の印象と同じくらいかな。という感じです。登場人物が多いので、舞台ではこれくらいわかりやすくてもいいと思うんですけどね。

舞台の王逸はどうやら豪運の持ち主らしく(単に省略されただけでしょうが、そういうところが豪運なのです笑)、冷飯も食っておらず、痩せさらばえてもおらず、李将軍に付き従って最後までお国のために働いているようでした。小説の王逸もかなり好きなのですが、推しがこうして正規の場所で活躍している世界線は万が一くらいにはありです。とても。と思って、ちょっと嬉しくなりました。奥さんももらっているかもしれません。李将軍にも通じることですが、軍人でありながら科挙を突破した過去を持ち、脳内にはあらゆる漢籍の文言が詰め込まれている、というのは最高にかっこいいですね。

願わくは穏やかに暮らしてほしいです。

◎三人組その① 梁文秀(リァン ウェンシウ)/史了(シーリァオ)

主人公の片方で、光緒十二年の首席です。なお、もう一人の主人公は、李春雲(リ チュンユン)/春児(チュンル)、宝塚だと朝美絢さんが演じている役です。

史了(シーリァオ)が字(あざな)で、もっと親しく呼ぶ時は「少爺(シャオイエ)」。宝塚版ではわかりにくくなるので全く出てこないこれらの字ですが(春児(チュンル)だけ字が本名扱いになっている)、舞台版でも史了/少爺、と呼んで欲しかったな。という気持ちはかなりあります。本名に「文」、字に「史」が入るのが、文官として世界を変えていく彼の名前にピッタリだし、ものすごくかっこいいなと思って、大好きな名付けです。

科挙の首席であり、政治的な手腕にも優れ、容姿端麗で度胸もやる気もある、という、ちょっと間違えればかなり感情移入のしにくいキャラクターとも言えそうですが、変わり者で明るく、また悩める青年でもあり、彼を追って話に入っていくのはとても楽しかったです。応援したくなる気骨のある若者で、壮年になってもそれは変わりません。続編では脇役になってしまうのはちょっとさみしい気もしつつ、早稲田大学で教授になっているようなので、そういう彼もちょっと見てみたいなと思いました。

玲玲(リンリン)とのコンビ/カップリングがかなり好きだったのと、先に雪組版を見ていたこともあり、四巻のラストは本当にどうしていいかわかりませんでした。あまりにどうしていいかわからないのでコメントがこの程度になってしまいます。奥方は死んでしまったのかなあ。

清の滅亡まで秒読みという本作、三人組には全く時間がないので、三人でどこかへ遊びにいく、みたいなシーンは全くないのですが、ちょっとくらい酒盛りでもして欲しかったなあ。というのが正直な感想です。という欲望を絵にしたので貼っておきます。へただしきたないけど。そのうち消すかも。

若い三人組が酒を飲んでいる図。

宝塚版に関しては、雪組配信鑑賞一回目→原作→雪組二回目、という見方をしたので、原作でもずっと脳内で彩風咲奈が出ずっぱり。という状況でした(朝月希和・朝美絢の両氏も正直その状況でした)が、原作を読んでいても全く違和感がなかったです。咲奈さんにぴったりの役だ。

咲奈さんがやると、文秀の後ろ暗いところとか、どうしようもないところが圧倒的な陽の光によっていい感じにカバーされ、かなり辛くない文秀になっていたのでちょっとホッとしました。というのも、本作は当時のトップ娘役だった朝月さんの退団公演なんですよね。そのことは前から知っていて、そのうえで原作を読んだので、原作のこの二人の関係のあまりの終わりようにどうしていいかわからず放心してしまい、仕方がないので一時間くらいWikipediaで清朝の歴史を調べて気を紛らわすという奇行に走らざるを得なくなりました。しかし、雪組版を改めて見て、少なくとも彩風咲奈の文秀は玲玲を殴り殺そうとはしないでしょう。と思考を変え、ちょっと安心したのでした。うーん、書いていたら涙が出てきました。文秀はぶっちゃけ死んだ復生(フーション)(=譚嗣同・タンストン)さんに五発くらい殴られたほうがいいですが、咲奈さんの文秀ならこの辺りも免れるんじゃないかな。

これはあーささんにも通じることですが、文秀と春児の二人は政界で圧倒的なオーラを放ち、崇められたり蔑まれたり頼りにされたり狙われたり褒められたり妬まれたりと毎日毎日毎日毎日とんでもなく忙しい日々を過ごしているという役なわけで、こういう役は誰にでも務まるものではないと思います。こういう人を二人を用意するにあたって、当時の雪組が選ばれたというのはすごく納得できる気がしました。他のどの組でもなくて、この時の雪組が上演してくれて、しかも映像まで残してくれて、ほんとうにありがたいなあ。という気持ちでいっぱいです。まあ、これはどの組のどの作品にも言えることですけどね。

その他(宝塚について)

私は四季俳優とタカラジェンヌの皆さんを歌の人・ダンスの人・芝居の人に分類して脳内保存しているのですが、あーささんだけはずっと圧倒的顔面の人という特別枠にいました。が、今回見て晴れて芝居の人だな。と思うに至りました。バレエ上がりかな? という感じ(黒牡丹のシーンとか、あんな重い衣装つけてるのにすごかった)のですが、どちらかというと運動神経が良いのかなと。それよりやっぱり芝居上手いね!?!? 文秀に向かって「なんで死ななきゃいけないんだよ!」って言うところとか、本当に良かったです。今度のパリアメがめちゃくちゃ楽しみになりました。

朝月さんは可愛らしい感じが年下の玲玲によく似合っていて、最初配信で見る→原作を読む→二度目の配信で見る、というのを通して全く印象が変わらなかったのですごいなと思いました。この印象があったため、四巻を読み終わった後放心してしまったわけですが……。朝月さん本人がどう思われたかも気になります。脚本ない時点で原作読んだとしたら、とんでもないラストが待ち受けているわけで……。これで退団って劇団は人の心がないだろ。と私は本気で思いました。ご本人もびっくりしなかったのかなあ。

私はタカラジェンヌの方々では芝居の上手い人が大好きなので(そういうわけで組だけで言えば月組贔屓なのです)、専科の人たちがものすごく贅沢に出演してくださっている本作はとても見応えがあって嬉しかったです。特に栄禄と伊藤博文は男、というかおじさんにしか見えなくて、調べてみるとみなさま案の定歴戦の猛者みたいな出演歴の方々なわけです。でも衣装を着ていない時の上品な女性の写真が同時にあったりするわけで、もうわけがわかりません。そんでもれなく芝居が上手い。凄すぎる。西太后と栄禄と李将軍のひっそりした恋模様を裏に見たりみなかったりして、一人でほくそ笑んでいました。やっぱり栄禄はいやなやつですね。すばらしかったです。

あと、岡役の久城あすさん劇団四季顔負けの滑舌の良さで芝居を回しておりたまげました。そりゃ岡もやるわね。今度の公演で退団されるようで、惜しい…と思いました。あとは蘭琴がめちゃくちゃ女の子でおお…となったり(そりゃ女の子がやってるからそうでしょうが)、原作では結構ちゃんと出てきた人たちがひっそり脇にいたりして、そういうのを探すのも楽しかったです。

わけがわからないといえば、男装の女性がやる宦官の役というのはかなり混乱をきたす題材ですね。同じ体制の雪組シティハンター(たぶん)にもいたオカマ役もかなり混乱しましたが……。

◎おわりに

改めて読み返すと、一巻の最初で「文秀はおまえら(春児たち)にお恵みをしてくれているだけだ」とか、そういう言葉をはじめとして、かなりしっかり伏線が張られていることがわかりました。新聞連載だったらしいので、そう思うとかなりすごい話だ。改めてちゃんともう一度読みたい気がしました。

とっても面白かったので、次作の「中原の虹」も読みたいところではあるのですが、原作ではかなり暗い形で結ばれた文秀と玲玲の間に息子がいたりして、だいぶ複雑な気持ちになっているため、しばらくお休みしてからになりそうです。

それから、最新作はこないだ出たばかり、くらいの感じでかなり続いているシリーズでもあるらしい。正直清朝末期までの中国の話が読みたくて読み始めた話なので、張作霖爆殺事件とかがテーマになってくると話が変わってくるわけですが(そしてだんだんそうなっていくわけですが)、そこらへんまで根気よく読むと王逸がまた出てくるらしい。読むにしても「中原の虹」まででいっか、と思っていたのですが、王逸が復活するとなると話が違う。そういうわけで次を読むかかなり迷っていますが、どちらにせよ他にも読みたい本があるのでそれを読んでからかな。おわりです。